34話)
河田邸に戻った茉莉は、帰る歩を待ち構えていたが、その夜は帰ってこなかった。
次の日も。またその次の日も・・。
しびれをきらして執事に歩の予定をきくと、なんと彼は海外らしいのだ。
帰りは一週間後だとの事。
ガックリきて、河田の家にいる意味を失くした茉莉は、時々例のマンションに出向くのである。
5日後。インターフォンが鳴って出た真理は、歩の声にびっくりする。
彼は土産を一杯持ち込んで、真理に手渡した。
お礼もそこそこに、固い表情で立ち尽くす真理の様子が、おかしいのに気付いたらしい。
「どうしたの?」
聞いてこられて、すぐさま言葉にした。
「河田茉莉は私なのを知ってるんでしょ?どうしてこんな回りくどい事をするの。」
固い顔で質問を繰り出した真理に、歩は首をかしげて、楽しそうに瞳を踊らせるのが、かすかに分かる。
「河田茉莉は、俺の奥さんだけど、どこでそれを知ったの?」
と、しゃあしゃあと言ってくるのだ。
「しらばっくれないで。全部知って、私を抱いたんでしょ?」
「君のどこが俺の奥さんなんだよ。」
「私は、河田茉莉よ。」
「メガネをかけて?安物の服を着て?」
言いながら、とても楽しそうに歩はささやく。
「伊達眼鏡に決まってるじゃない。」
「お前は河田茉莉じゃない。」
いきなり断定するかのように、歩がつぶやいてくる。
一気に瞳の色が変わっていた。冷たいくらいの瞳は河田茉莉に向ける視線。
「茉莉は、俺には抱かれないから。」
「なん・・。」
「俺の奥さんは、武雄兄さんを、お慕い申し上げているからね。
お前のように、体を開かないんだよ。」
言いながら、ツカツカ寄ってきて、真理の肩をつかむ。
「一週間我慢したんだ。ゴジャゴジャ言ってないで、俺を受け入れてよ。」
耳元でささやかれて、真理は目を見開く。
「私は茉莉なのよ。河田茉莉だって、歩さんを受け・・。」
続きが言えない。歩が口づけしてきたからだ。
まるで飢えた猛獣のように、激しいキスだった。
「あゆ・・む・・さん。」
その場で眼鏡を取られ、衣服を剥かれた。リビングのラグの上に横たえられて、
「お願い・・話を聞いて・・。私だって、“茉莉”なのよ。
どうして武雄さんの名前がでてくるの?」
訳が分からず、ひたすら訴える真理に、馬乗りになった歩が首をかしげた。
「訳のわからないのは、そっちの方だ。なぜここで俺の奥さんの名前がでるんだ?ひょっとして嫉妬?」
左手で胸を揉みながら言って、真理の乳首を強くつまむものだから、身をよじって悲鳴を上げてしまった。
歩の手をとり、少し涙を浮かべて
「自分に嫉妬してどうするのよ。」
と、かろうじて訴える真理に、歩は鼻で笑った。
「だから、お前は河田茉莉じゃないって、言ってるだろ?
俺は疲れてるんだ。駄々をこねてばかりすると、いきなりスルよ。」
言って彼は、強引に行為を進めてくるのである。
女の力では、彼を止めることができなかった。
悲鳴をあげそうになるが、縋るような瞳で見てくる歩の視線に気付いて、声を呑みこんでしまった。
力を抜いて、逆らわなくなった真理の様子に気付いた歩の視線がかわる。一変して動作が優しくなった。
そのまま最後までされて・・・事がすんだ後に、さりげなく
「さすがに血は出ないね。」
なんて言うのだ。真理はハッとなった。
そうなのだ。
そこが“真理”が“茉莉”だと歩が把握していると思える、決定的な証拠だった。
ガバッと立ち上がって、
「私、夫がいるって言ったじゃない。
あなた全然、おかしがらなかったでしょ?
普通、結婚していて処女だったら質問くらいするじゃない。
なぜ、不思議に思わなかったの?
私が河田茉莉だって事を、知っていたからなんでしょ?」
と、まくし立ててゆく真理の表情を、歩は黙って見据えていた。
気まりの悪い沈黙の後、ポツリと彼は言う。
「君達、セックレス夫婦だったんじゃないの?」
興味なさげに一言。それで終わりだった。
伊達に河田家の当主をしているわけじゃない。
歩の方が、一枚上手だった。
それ以上、言葉も出なかった。
避妊され、おまけに娼婦のように、抱かれた自分自身が情けなかった。
ポロポロ涙が溢れてくる。
そんな真理を見て、焦ったように歩は近づいてきて、なだめるようにかき抱く。
「俺の事好き?そんなに好きだったら、俺の所に来なよ。」
優しく言った彼の言葉・・・。
ひょっとして、本当に歩は、真理を茉莉だと知らないのかも。と思ったほどだった。
同時に、言っている意味が分からなくなった。
「私は、あなたの妻なのよ・・。」
小さくつぶやく真理に、歩は首を横に振る。
「君は河田茉莉じゃない。」
真剣は瞳で断定されて、さらに真理は涙がどんどん出てくる。
泣きむせぶ真理の頭を撫でて、彼はささやく。
「まだわからない?俺は、今の君を愛しているんだよ。」
言われて、これも言っている意味が把握できなかった。
茉莉も真理も同一人物だからだ。
(どうして茉莉を愛してくれないの?)
声にならないつぶやきを漏らして、真理は歩の胸に涙を落とし続けていた。